COLUMN

第2話 長者畑

 むかしむかし、伊達崎村下郡の長者畑というところに、たいへんなお金持ち が住んでおりました。
 お金持ちが住んでいたところからのちの世になって長者畑となったのであり ましょうが、今でもその屋敷あとといわれるところは残っております。
 まわりをぐるりとほりでとり囲んだ屋敷あとはむかしむかしの長者のずばぬ けてゆたかだったくらしのようすがしのばれます。
 この屋敷に住んでいた長者を人々は大満長者と呼んでおりました。
 家屋敷のかまえや棟の数はもちろん、色彩も赤や青でいろどりよくととのえ られそれがたっぷりとたたえられたほりの水面に映えてまことにきれいであり ました。
 数々の倉には金銀財宝があふれ、
 「あの倉には唐から渡って来た宝が入っているんだとさ。」
 「あの倉には都にもないような着物やかざりものが積んであるんだそうな。」
というようなことが、まことしやかにささやかれていたのでありました。
 大満長者一族は毎日花の盛りのなかのようなくらしが続いていたのでありま した。
 この長者には、あととりとなるべき男の子がなくて、たったひとりのそれは それはきれいなお姫さまがおりました。
 心もとてもやさしく、思いやりも深かったのでだれからもしたわれておりま した。
 姫が十六になった春のことでありました。
 おりからの満開のさくらにさそわれるように、乳母と侍女とともに連れだっ て近くの愛宕神社におまいりにまいりました。
 長い石のだんを中ほどまで登ってまいりますと、そのあたりでおまいりをお えての帰りらしいりっぱな男に出会いました。
 ついぞこのあたりでは見かけることのない高貴ないでたちやふるまいに姫は すっかり上気してしまい、あとの石のだんをどう登ったのか、どうおまいりし たのかもわからなくなってしまったのでありました。
 みちみち、姫は考えこんでおりましたが、
 「どうも、あの顔立ちには、見おぼえがある。きょうはじめてではないよう だが。」
と、思いましたが、どうも思い出せませんでした。
 姫は、屋敷に戻ってくると、急にふさぎこんでしまい、やがていく日か過ぎ ると、やつれさえ目だってまいりました。
 なにがもとでのありまさかわからない長者夫婦は、名高い占い師にうらなっ てもらいましたところ、
 「お姫さまの病いは、四百四病のほかで、その病いのもととなっているのは 目下の男である。」
と告げられたのでありました。
 それを聞きました長者は翌日の朝早く
 「屋敷ではたらいている男はすべてきょうの仕事を休んで姫を見まうように せよ。」
とのおふれを出したのでありました。
 男たちは正装をして次から次へとお姫さまのお見舞いにうかがいましたが 心が動いたようすは全く見られませんでした。
 もうおしまいかと思われたとき、最後にひとりの少年が残っていることに気 がつきました。
 「さあ服をきちんとつけて出るのだぞ。」
といわれ、あわてて自分の部屋にもどり正装をして姫の枕辺に立ったのであり ました。それはまばゆいばかりの姿でありました。
 さて、この少年とはだれでありましょうか。
 この少年、名は三之といい、遠い都の身分の高い方の息子として生まれたの でしたが、東国の長者のところの姫のすぐれて美しいといううわさを伝え聞き、 矢もたてもたまらず、ひそかに都を立って陸奥の伊達崎村まで来て、長者の館 にやとわれ、草刈り男としてまじめにつとめていたということなのでありまし た。
 枕辺にすわった少年三之に姫の心はいっぺんに動きました。それを見てとっ た長者は姫の心を察し、やがてりっぱな結婚式を挙げ二人は晴れて夫婦となっ たのでありました。
 遠い都の身分の高い方の息子が恋こがれて東国にくだり、美しい姫君と結ば れたことは何よりめでたいことでありました。近郷近在みなこの長者のおやし きの結婚を喜び合ったのでありました。
 やがて、二人の間には玉のような子どもが生まれ、すくすくと成長しました。  しかし、しあわせというのはいつの場合でもそう永く続くものではありませ ん。
 凶作、今でいう冷害がこのあたり一帯の村々をおそったのでありました。
 冷害はひでりの害よりもひどいものです。その冷害が、このころは四年に一 回、五年に一回というように東国の村々をおそっていたのでありました。
 農作物がとれないとなれば、ただでさえ生活苦に追われる農民の生活は狂っ てしまいます。
 自分のせっかくとり入れた米麦、大豆、あわなどでさえ、四割は大地主に地 代の年貢としておさめなければならなかった時代であります。
 一軒ごとの零細な農民に何ほどの貯えも無かったのは当然であります。
 どの村々もたいへんなことになりました。伊達崎村とて例外であろうはずは ありませんでした。
 たちまち、今まであった食物は食いつくし、死人さえ出るようになりました。  農民達は暴徒となって長者の屋敷につめかけたのでありました。
 暴民は、長者の屋敷をぐるりととりまき、血に飢えたおおかみのように叫び 声をあげ、一気にほりをおし渡り、塀を破って乱入し、倉という倉のとびらを 押し開いて食糧をうばい、ついには、火をつけて焼きはらい逃げ去ったのであ りました。
 この年までもいく度か、このような凶作さわぎはありましたが大満長者はい つもいくばくかの米、みそを農民に分けあたえて危機をのり切って来たのであ りましたが、この年ばかりは、どうすることもできないほどの不作だったので ありました。
 それにこのときは、召使い共も後でふりかかる難儀をおそれてわれ先に逃げ 出したので、すばらしかった長者さまのお屋敷も、みるかげもなくなってしま ったのでありました。
 長者とその身内の者は身をもって逃れ北の方へおちのびてまいりました。  いつしか一人はぐれ二人はぐれて散り散りになり、むこの三之がわが子を抱 いて白石にたどりついたころは、親ひとり子ひとりのわびしい落人となり、た だ川風に衣のすそが吹かれているばかりでありました。
 「あゝ、我は都に帰らねばならぬ。それにしてもこの子はどうしよう。」
 しばし思いなやんでおりましたが今さら姫に会える当てとてありませんので 心をきめて
 「生命あらば何になりとも生まれかわってくれよ。」
と念じて川の中程に流してやったのでありました。するとしばらく流れたあた りから一羽の白鳥が飛び立っていったのでありました。
 三之は急に身軽になり都へと足はいそぎましたが心は重く沈んでおりました。  三之は、多分船旅で都に上ったものでありましょう。
 白石にある子捨川、その近くの宮村にある白鳥大明神
 このふたつが、この長者畑の伝説と結びつくとき、この物語はいっそう悲し くなって来るのであります。
 伊達の伊達崎
 長者の屋敷あとをめぐる話題はいまもいろいろと残っております。
 「菜洗い場」という地名、これは長者の屋敷跡のひとつで、そのむかし菜を 洗ったところといい伝えられております。
 「下郡」の曲松にある長者供養塔はその長者のたたりや禍いをはらうために 建てられたものだといわれております。
 白鳥は今も伊達の野に美しい姿で舞っております。

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