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第8話 怪力三石善七

 むかしむかし、それは今から二百年ほども前のことでありました。
 伊達郡の南半田村の桐ヶ窪というところに善七という男が住んでおり ました。
 この善七という男、小さいころから人並みよりずばぬけていい体であ りしかも骨太でありました。
 善七が八才のころでありました。
 秋あげが終わりまして、地主さまのところへ年貢米を運ぶ段になりま した。父が重たそうに米俵を動かしております。
 米はずうっと四斗入りで一俵。今の重さでは六十キログラム。とても重く て腰のすわった大人でなければちょっこら動かすことなどできません。  それを、善七はじっと見ておりまして、
 「おれさも運ばせっせ。やって見っから。」
と、せがんだのでありました。まさか起き上がることも出来まいが、ど うせ百姓の子、いい経験になっぺと心で思いながら大人が背負うのと同 じ米俵を背負わせますと、モッコラモッコラしておりましたがツィと起 き上がり歩き出したのでありました。途中かがみ込んだので、
 「善、まいったがや。」
と父が声をかけますと、またたち上がって歩き出しました。あとには小 山のような糞がポーポウと息を立てておりました。善七はしゃがんで用 たしをしたのでありました。地主さまのところまで行きついたのはもち ろんであります。
 この善七、大きくなりますと、すぐ近くの街道すじに出て荷物運びを し、駄賃とりをして暮らしておりました。あるとき小豆の五斗入袋六俵 を隣の宿場まで運ぶよう頼まれました。善七は『エィッめんどう。」と いっぺんに運んでしまいました。人々は驚いてそれから『三石善七』と 呼ぶようになったのでありました。十斗で一石。だから三石でありまし た。
 その善七、習い性となり常に背中に荷が無いと体が浮くようだといい 田の中耕にも米一俵を背負い朝飯前に三反歩を三回すき返してケロリと していたということでありました。
 この善七つねに心やさしく近隣から愛され天寿を全うしたのでありま した。人々は、「神さまの申し子だったべか。」などとうわさして野辺 の送りに加わったということであります。
 ずうっとずうっと後の大正時代のはじめに、近くの大らん場(※)から 馬のあしよりも大きいぐらいの人の骨が掘りおこされました。
 あつまった人たちは、みないちように首をかしげておりましたが、古 老がかけつけてまいり、
 「これは、三石善七つう怪力の持ち主の骨だ。たしかにまぢがいねえ。」 といって、そのあらましを語ってきかせたのでありました。
 その後はまた善七の骨はまた埋め戻されたでありましょうから、今も大 らん場にはその骨があるはずであります。
                  ※大らん場=大きい墓地のこと

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