COLUMN

第22話 半田沼の主

 むかしむかしのことであります。
 伊達の野はまだ湿地や、やぶにおおわれていたとみえまして、今の国道のあたる主な道
路は、山の上や中腹にありました。
 半田山には、東街道というのがありまして、それは、奥州と都とを往来するもっともだ
いじなものでありました。
 都と、奥州の北の方の町や村とを行き来する人は、だから、だれでもがここを通ったも
のでありましょう。
 むかしの交通は、今では考えられない、なんぎ(※)なものでありました。
 人が、それぞれに荷を背負うか、牛や馬の背に荷をつけるというのが常でありました。
 旅というものは楽しいものでありますが、歩いて、しかも重い荷を背負っての何十日も
のそれは決して楽ではなかったはずであります。
 冬などは、だから、人の行き来もとだえてしまったにちがいありません。
 今から千二百年ほども前の、文治年間のことでありました。
 源義経という人が、金売吉次(かねうりきちじ)という家来をしたがえて、岩手の平泉
に藤原秀衡をたよって、奥州路をいそいでおりました。
 季節から考えますと、秋のはじめのころであったのでありましょう。
 家来といいますか付き添いの従者というものは、源義経ほどの都おちでありましたから、
おそらくは二十人や三十人、それに牛や馬もそれくらいはついていたのでありましょう。
 旅はとうになかばを過ぎまして、吾妻のすそを巻き、摺上の川を越えて、半田山のあた
りにかかっておりました。
 ところが、金銀財宝を積んだ一頭の牛が、にわかに何かにおどろいたと見えて、あばれ
はじめました。
 従者が、いくら声を枯らしてなだめましても、ますます荒れくるうばかり、ついには、
急に赤土の山坂を下りはじめました。
 そうなっては、どうしようもありません。
 牛の背には平泉にとどける金銀財宝が積んであります。全く気が気ではありません。
 と、前方には、大きな鏡のようにたいらな沼。
 その沼をめがけて牛はザブーンと飛び込んでしまったのでありました。
 水の中では、金銀財宝は急に重さを増すものだそうであります。
 「ブグーッ。ブグー。ブグーッ。」
と三度だけ大きなあぶくが上がっただけで、すぐにもとの静かな沼にもどってしまったの
でありました。
 探そうとしたって探せるものではありません。半田沼は深いのでありますから。
 沼に落ちたのが赤い牛だったのでそれからは、『沼の主』としてあがめられるようにな
ったということであります。

    ※なんぎ=とてもたいへんなこと

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